2010年5月12日 (水)

加守田章二さんに関する覚書

 GW中のことです。宮城県のTさんが、粘土を30kgを購入する為に訪ねていらっしゃいました。Tさんから初めて連絡をいただいたのは、3月のこと。あることがきっかけで、うちと加守田さんとの関わりを知って、さらに会社のHPを見て、「加守田さんが使用していたのと同じ粘土を購入したい」というメールをいただいたのです。

 実はこういう問い合わせは、年に何度かいただきます。確かに、うちでは粘土を作って販売していますが、それは加守田さんが使用していたのとは同じではありません。今は、遠野と紫波の粘土を配合しているのです。しかも加守田さんは、土堀場の中から自分が気に入った部分を掘っていたようで、それがどんな粘土だったのかは判らないのです。
 Tさんに上記の旨を伝えましたら、「それでも少しだけでも欲しい。昔、加守田さんとの関わりがあった義父の為に」ということになったのでした。

 今でこそ、陶芸家として活躍されているTさんのお義父様も、20代の中頃には、陶芸の道を歩むかサラリーマンになるか悩んでいたのだとか。そんな折、遠野で作陶中の加守田さんを訪ねたのだそう。「その時の言葉次第で、諦めるか進むか決めるつもりだったそうです。」とTさん。ということは、現在が陶芸家なのだし、「頑張れ」って言われたのですね?

「いえ、そうではなくて、『今からではもう遅い』といわれたそうです」

え?そうなんですか? ではなぜお義父様は…?

「具体的にはどんな言葉だったか判りませんが、そう云われて逆に決心がついたらしいですよ」

 

 後日ダンナにこの話をして、「加守田さんが言ったのは、どういう意味だったんだと思う?」と聞いてみました。

「加守田さんは遠野に居た間にヨーロッパに旅したことがあったんだけど、帰って来てから高校生の僕に、ヨーロッパの美しさすばらしさを話してくれて、こんな事も言っていた。『ヨーロッパは必ず見ておきなさい。出来れば10代のうちに』ってね。」

 つまり、感性は10代の頃に培われるのだから、20代になってから創作の道を志すのでは極められないと言いたかったのでは? というのがダンナの推測でした。この話しを聞いて私は、加守田さん自身が「10代に訪れていれば!」と思っていたのかも、と感じました。そして、これからいくらでも可能性がある幼い者に夢を託したかったのかもしれないと。

「加守田さんは中国も旅しているからか、加守田さんからは大陸を感じたもんさ。もちろん僕は大陸なんて想像もつかなかったけど!」とダンナ。そんなダンナがヨーロッパに足を踏み入れたのは38歳のこと、新婚旅行ででした。学生時代に旅行してれば、大成したのかもね?

この件については、ダンナが自分のブログで補足を書くと言ってますので、興味のある方は、こちらもどうぞ
---->「屋根の上の散歩者」

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2006年7月19日 (水)

加守田章二展in県美、終了。

 7月17日月曜日をもって、岩手県立美術館で開催されていた「加守田章二展」が終了しました。オープニングに行った時は、いろんな人に挨拶するのに忙しくてちゃんと見れなかったので、「絶対また来よう!」と思っていたのに、とうとう行けず。あ〜、残念だった〜。せめてギャラリートークは聞きたかったな〜と、タメイキをついています。
P0719kanban  この1ヶ月あまりの会期中は、義父母にとって懐かしい人たちの来訪もあり、遠野の人たちも「見て来たよ」という話や、「そういえば、ウチにも湯のみをもらってた!」という話で賑やかで、ちょっとした「お祭り」だったような気がしています。
P0719kamoda そうそう、今回の「加守田章二展」の功績がもうひとつありました。青笹町踊鹿にいまも残る加守田氏のアトリエの修復工事に市が予算を出してくれたことです。表には小さな看板も立って、「なぞの廃屋」ではなくなりました。良かった良かった。今は隣家も建って、山の中だったはずの当時の面影はありませんが、庭の隅に残る松林から当時を偲んでみることが出来るかも。近くにいらした時は、是非お立ち寄りを。(「天の湯」の向かいデス)

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2006年6月 4日 (日)

加守田章二展in県美。

 6月3日土曜日 岩手県立美術館で「加守田章二展」が始まり、お義父さん・お義母さんと3人でオープニングに参加してきました。陶芸家・加守田章二といえば、鬼才と呼ばれた陶芸家。とはいえ、20年以上前に亡くなっているし、陶芸に関わっている人以外には知名度が高くないようです。しかし、オープニングには沢山の人が集まっていました。県美のオープニングには初参加の私。なぜかちょっと緊張〜。
 オープニングの挨拶は県美の館長と、我らが遠野市長・本田敏秋氏。本田市長の挨拶の中で印象に残ったのは、
「加守田章二が粘土を探して放浪をして、花巻を経由して遠野に入った時、猿が石川に架かる愛宕橋から遠野三山を臨んだそうです。その風景に感動した加守田氏は、この地を作陶の場に選んだそうです。その話をNさん(お義父さんのコト)から聞いた私は、その風景を守る事が私の仕事だとわかりました」というお話。加守田章二に選ばれた地・遠野。遠野に住む人はもちろん、多くの人に知ってもらいたい事だと私も思いました。
 展示は、初期の油絵から晩年のスケッチブックまで、本当に充実していました。特にスケッチブックの緻密さには感動してしまいます。出来れば、全てのページを見てみたいものです。
 ちなみにこの日は、知り合いの彫刻家や遠野の人が沢山来ていたので、挨拶に追われてあまり作品を見ていませんでした。ので、またゆっくり行くつもりです。
□県立美術館のHP

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2005年10月18日 (火)

写真探し大作戦。

 先日取材にいらした「銀花」のAさんからの手紙が届いたのは、お昼前の事でした。手紙には先日のお礼と、加守田さんが病床から出した手紙をカットに使わせて欲しいということ。そして、遠野時代の加守田さんの写真があれば貸して欲しい、とありました。
「…写真、あったと思うんだけど、アルバムどこにあるのかな?」と、旦那。
「撮ったと思うけどな〜」と、お義父さん。そう、我が家の男達はお義母さんに聞かないと、どこになにがあるのかわからないのです。ところが本日お義母さんは、福泉寺の観音様の縁日でお出掛けしていて留守。
 そして午後、Aさんから電話が。写真の有無だけでも教えて欲しいとのこと。そのキモチがよ〜くわかるだけに、(縦位置か横位置かも教えてあげたいくらいの勢いで)晩ご飯も早々に、我が家の写真探し作戦が始まりました。
 まず、お義母さんが持ち出して来たのは、「結婚式のお土産袋」いっぱいのアルバム! たくさんの白黒の写真の中には、昔の工場の前で微笑む義父母の姿がなんだか眩しい。でも、その「袋」にはお目当ての写真は見当たりません。
「お袋、もっと俺が小さい頃のは無いの?」というわけでまたまた来ました「結婚式袋その2」。こちらは生まれたてから小学校入学あたりまでの旦那が中心。「ほらほら、オレ、可愛いでしょ?」おいおい、今日の目的はそういうことじゃないでしょ!?
「確か、あそこにも写真があったはず」と言うお義母さんの後を付いて別室に移動。そこにもありました「結婚式袋その3」! こちらは親戚の結婚写真が中心。いわゆる「親戚一同写真」と結婚式のアルバムがセットになったものが何組もあって、「やっぱり、本家って大変〜」と改めて思ってしまいました。そして最後は、お義母さんの独身時代のアルバムまで引っ張り出されて来て収拾が着かなくなってきたので、本日の「作戦」は敢えなく断念となりました。
 「あんなに一緒にいたのに写真が一枚も無いなんて…。考えてみたら、記念写真を撮るような付き合い方をしてなかったんだよね」と旦那。「…それに、まさかあんなに早くお別れするとは思わなかったしね」と、ちょっと寂しそうです。 いつも一緒にいて、永遠に一緒にいてくれるような気がして、形に残すなんて事考えないまま気が付いたら永遠の別れを迎えていた…。ワタシの人生を振り返ってみても、そんな経験はいくつもあるような気がします。
 ところで一枚の気になる写真がありました。それは、旦那を含めた子供3人がカメラに向かってはしゃいでいる写真で、加守田さんとお弟子さん2人と、計6人で荒川高原に行った時のだとか。
「確か加守田さんが撮ったと思うんだけど、確信は無いんだよね」という写真。そう思うからでしょうか、その写真からは意志を持った「視線」が感じられました。もし本当にそうだとしたら、加守田さんが映っている写真以上に、ウチの家族にとっては貴重な写真なのかもしれません。

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