加守田章二さんに関する覚書
GW中のことです。宮城県のTさんが、粘土を30kgを購入する為に訪ねていらっしゃいました。Tさんから初めて連絡をいただいたのは、3月のこと。あることがきっかけで、うちと加守田さんとの関わりを知って、さらに会社のHPを見て、「加守田さんが使用していたのと同じ粘土を購入したい」というメールをいただいたのです。
実はこういう問い合わせは、年に何度かいただきます。確かに、うちでは粘土を作って販売していますが、それは加守田さんが使用していたのとは同じではありません。今は、遠野と紫波の粘土を配合しているのです。しかも加守田さんは、土堀場の中から自分が気に入った部分を掘っていたようで、それがどんな粘土だったのかは判らないのです。
Tさんに上記の旨を伝えましたら、「それでも少しだけでも欲しい。昔、加守田さんとの関わりがあった義父の為に」ということになったのでした。
今でこそ、陶芸家として活躍されているTさんのお義父様も、20代の中頃には、陶芸の道を歩むかサラリーマンになるか悩んでいたのだとか。そんな折、遠野で作陶中の加守田さんを訪ねたのだそう。「その時の言葉次第で、諦めるか進むか決めるつもりだったそうです。」とTさん。ということは、現在が陶芸家なのだし、「頑張れ」って言われたのですね?
「いえ、そうではなくて、『今からではもう遅い』といわれたそうです」
え?そうなんですか? ではなぜお義父様は…?
「具体的にはどんな言葉だったか判りませんが、そう云われて逆に決心がついたらしいですよ」
後日ダンナにこの話をして、「加守田さんが言ったのは、どういう意味だったんだと思う?」と聞いてみました。
「加守田さんは遠野に居た間にヨーロッパに旅したことがあったんだけど、帰って来てから高校生の僕に、ヨーロッパの美しさすばらしさを話してくれて、こんな事も言っていた。『ヨーロッパは必ず見ておきなさい。出来れば10代のうちに』ってね。」
つまり、感性は10代の頃に培われるのだから、20代になってから創作の道を志すのでは極められないと言いたかったのでは? というのがダンナの推測でした。この話しを聞いて私は、加守田さん自身が「10代に訪れていれば!」と思っていたのかも、と感じました。そして、これからいくらでも可能性がある幼い者に夢を託したかったのかもしれないと。
「加守田さんは中国も旅しているからか、加守田さんからは大陸を感じたもんさ。もちろん僕は大陸なんて想像もつかなかったけど!」とダンナ。そんなダンナがヨーロッパに足を踏み入れたのは38歳のこと、新婚旅行ででした。学生時代に旅行してれば、大成したのかもね?
↑↑↑この件については、ダンナが自分のブログで補足を書くと言ってますので、興味のある方は、こちらもどうぞ
---->「屋根の上の散歩者」
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